1. 科学法則は,宇宙のどこも成立しなくてはいけないものである。 高度な文明をもつ宇宙人いるとすれば, 当然同様な科学法則を知っていなければならない。 それを知らなければ,物理現象,化学反応などを予測することができず, ものを合理的に設計することができないため,文明を築くことはできない。 数学も,科学法則やコンピュータのプログラムを作るためのものは同様に持っていると考えられる。
2.力学に基づく構造物の設計,材料の切削・結合,金属の製錬・鋳造, 電気回路の設計などの基本的な技術は, 宇宙に進出できるぐらい知的な生物ならば当然持ち合わせているか, もっと進歩しているにしても過去には持っていたものと考えられる。 これらは,文明を築くために普遍的に必要なものと思われる。 生物工学に関しても,生命はその多様性の必要性から有機物であり, ある程度似た構造をもっていると考えられるため,基礎技術は共通ではないかと思われる。 地球より環境が大きくことなり全く異なる生命が存在する可能性は少ない。 温度が高ければ化学反応が活発過ぎて,物質が分解されてしまうし, 温度が低いと化学反応が起きにくく,進化などが遅くなってしまう。
3. 不幸に関しては普遍的な部分がある。 例えば,喉が乾く,腹が減る,痛いというような基本的なものや, 不自由・不平等,物質的な不満(より良い食べ物,家,消費財)などである。 ただ,このような不幸がなくても,幸福とは限らない。 一時的な幸福感のようなものは, 脳にドーパミンが分泌されれば感じることができる。 しかし,いわゆる幸福が本当に存在するかどうかはわからない。 完全な自由や平等や物質的な充足は存在しないため, 幸福は比較する人との相対的なものになってしまう。 そのため,ものを知ることによって不幸を知って幸せから遠ざかる。 実際,自分が幸せと答える割合は開発途上国の方が多い。 それでも,様々なことを知りたいし, 開発途上国の一般の人のような生活は望まない。 もっと言うならば,不幸はそれを改善しようするので,人間が進歩するために必要である。 幸福は存在しない美辞麗句であり, プロポーズと結婚式のときにだけ使えば良い言葉だと思う。
4. 平和で文化的な生活というものは,進化的に安定な戦略ではない。 人口を子孫を増やす欲求が強い遺伝子が生まれると, それを抑制することができなくなってしまう。 逆に言えば人口を抑制する機能が退化してしまう。 そのため,自然な遺伝子の変化に従えば, 生存できるギリギリまで人口が増えてしまう。 現在,先進国で人口が減っているといっても, それは淘汰であり,人口を増やそうとする性質が強い遺伝子が生き残り, 弱いものが死滅している。 したがって,長期的には人間が自ら何かの評価基準・価値観で遺伝子を操作する必要がある。
人間の不幸は,遺伝子やミーム(親から子に伝わる思想)によって決められ, 人間の行動に目的や指針を与える。 その不幸というものがどのように決められたかといえば, それを規定する遺伝子やミームを持った個体が, 長期的な数の増加に有利になった結果として決められたのである。 そして,このことは,その遺伝子やミームを持つ個体群が, 大域的的にエントロピーを速く増加できる散逸過程であることを意味する。 すなわち,同様な資源を消費する散逸過程より速くエントロピーを増加でき, かつ,環境の変化にも適応できる散逸過程である。 生物の遺伝子淘汰による進化がうまく行っていたのは, 地球環境で大域的にエントロピーをより速く増大させることができる散逸過程(生物)を生み出してきたからである。 例えば,温度がもっと高ければ生物でないもっと単純な化学変化による散逸過程の方が エントロピーを速く増加させるため,複雑な構造を持つ高等生物の存在は難しくなる。 また,人間が核戦争かなにかで自然をほとんど破壊してしまえば, 遺伝子淘汰による進化は, 大域的にエントロピーを増大させるためのよい仕組みではなかったことになる。 そして,実際,遺伝子淘汰が生じる状況では人口を安定させない。 現状の人間の科学技術力を考えれば,このことは, 遺伝子淘汰による進化が,大域的にエントロピーを増大させることに関して, 限界に近づきつつあると考えることができる。
人間が自ら遺伝子を改良する状況になれば,人間の不幸を決めなくてはいけない。 このときには,不幸や幸福感などを設計する評価基準が必要になる。 幸福を設計するときに,「できるだけ幸福になる」という評価基準では, どんなにいわゆる不幸な状況でも幸福感を感じるようにすれば良いことになり, それでは麻薬と同じである。 長期的に存在するための評価基準としては,その遺伝子から生じる個体群が 大域的にエントロピー増大するように設計する必要がある。 そのためには,幸福を科学技術の進歩に貢献するように設計する必要がある。 なぜならば,大域的にエントロピー増大するだけではあまりにも具体性が欠くし, 大域的にエントロピー増大するためには科学技術の進歩が絶対だからである。
現在の地球に暮らしていると, 人間が何か悪さをしなければ今の自然がずうっと続くように感じる。 これでは進撃の巨人のウォール教と変わらない。 数百万年の単位で氷河期が訪れるし,小惑星が衝突しないという保証はまったくない。 小惑星の大きさによっては,地球表面すべてが1000度以上の温度になり, 地下深い微生物しか生きられない状況が生じる。 実際,地球の軌道を横切る小惑星は存在するし, 木星にはその跡が地球の大きさになるぐらいの小惑星がぶつかっている。 これを防ぐことは核爆弾を使ってもかなり難しい。 巨大な太陽フレアや地球の磁極の反転の過程で放射線が非常に強くなることも考えられる。 また,伝染性と毒性が高いウィルスが突然変異で生まれるかもしれない。 壁がずうっと守ってくれると考えることには,根拠がない。 これらのことに対処するためには,もっと高度な科学技術が必要である。 とりあえず,宇宙に住むことができるぐらいにはならなくてはいけない。 考えてみれば,人間は40年以上前の1969年に月に行っているのである。 基盤技術は進歩しているのだろうけれど,情けないというほかはない。 科学技術を進歩させて, 宇宙に進み出るようなことを幸せと感じるように人間を変えていく必要があるのである。