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科学正論:自然は人間の敵なのか.

「人間は自然を破壊する(エントロピーを増大する)ために生まれてきた」で約束した,「自然を破壊して何になる.」という質問に答えることにする. その前に最適化における極大点問題について説明する.

関数を最大化することを考える. このための方法に勾配法というものがある. しかしながら,この方法を使うと極大点問題 という壁にぶつかる. この問題を説明するために,勾配法を簡単に説明する. まず,ある出発点のすぐ周りだけ見渡して, そこで関数の勾配が大きい方向に少し移動する. 次に,その点からすぐ周りを見渡して勾配の大きい方向に少し移動する. これを繰り返すと,やがて周り点が自分より低くなるような点に収束する. そして,その点を最大点とする方法である. 簡単に言えば,ある点から傾きな急な方向に登って行けば, いつかは最大点に到達するだろうということである. しかしながら,例えば,ある関数の形が, 大きな山の隣にそれより低い小高い山があるような場合を考える. この場合,勾配法では,小高い山の裾野の内側に探索点がある限り, その小高い山の頂上に探索点が移動していく. そして,その頂上に到達すると周りが全部自分よりも低いため, その点を最大点にしてしまう. しかしながら,実際の最大点はその隣の山にあるので, 本当の最大点を求めることができないのである. 全体における最大点を,「大域的最大点」,または単に「最大点」ともいう. また,上の小高い山の頂上のようにすぐ周りよりも高い点を, 「局所的最大点」,または「極大点」と呼ぶ. (大域的最大点は極大点の一つである.) 本当は大域的最大点を求めたいのであるが, 勾配法では極大点しか求まらないのである.

この極大点問題を少し言い替えれば, その場その場で良い方向に進んでも, 全体として良いところにたどり着くとは限らないということである. まあ,当り前のことである. 今は楽しくなく苦しくても勉強しておけば, そのうちに何かの役に立ったりして, 楽しさが生まれてきたりする. 局所的には,低い方向(悪い方向)へ進まなくては, 最終的に高いところ(良いところ)には到達できないということである.

最大点を求めるために, 「もっと遠くまで見渡せばよいではないか」と思うかもしれない. しかしながら,これは問題のパラメータ数が増えると非現実的になる. 例えば,1次元あたり10点を探すにしても, 最適化しなくてはいけないパラメータが1000個あるとすれば, 1回に10の1000乗個の点を見なくてはいけないため, ほとんと現実的には不可能である. そのため,大域的な最大点を求める問題は非常に難しい. ジェネッリクアルゴリズム(GA)は, 先の遺伝子による進化を模擬して, 大域的最大点を求めようとするものである. 個体群を考え,評価基準を大きくする個体ほど, 生存の確率を高くして, 評価基準の大きな個体を求める. 新しい世代に進む時に,交差することによって新しい性質のものを作り出したり, 突然変移を採り入れたり,悪い方向に進んだものも多少は生き残るようにして, 評価基準が大域的に大きくなるものを求めようとするものである. (GAとて,必ずしも大域的最大点が求まるとは限らない.)

この極大点問題を,エントロピーの話しに適用してみよう. プリゴジンの言う「エントロピー生成速度が最大の散逸過程が選ばれる」 ということは,おおまかに言えば, 勾配法でエントロピーを最大にしようとしているとたとえることができる. その場その場で, エントロピーをともかく大きくなる方向へ進もうとしていると言っているのである. しかし,しかしこれでは勾配法の問題点である, 極大点に捕まってそれ以上エントロピーを増大できなくなってしまう. 例えば,燃焼のエントロピー生成速度はとても大きい. 従って,炎の中では,それよりエントロピー生成速度の小さい人間は生きられない. しかし,火はなんでもかんでも無計画に燃やしてしまうから, 燃えるものが無くなった時点で消えてしまう. 人間もどんどん自然を破壊し,資源を消費していけば, エントロピー生成速度は大きいかもしれないが, 資源がすぐになくなり滅んでしまう. そう,極大点に捕まってしまって,最大点の方へすすむことができない.

基本的には,エントロピーの生成速度が速い散逸過程が選ばれ, それが存在することになるが,生成速度以外のことによって, 競争の勝敗が決まることもある. 例えば,ある木のエントロピー生成速度が速くても (日光を吸収する割合が多い), 高さが低ければ,高い木に先に日光を奪われて, 存在することができなくなる. 同じ資源を取り合って,散逸過程どうしの 不毛な(大域的なエントロピーの増大には有害な)戦いをしなくてはいけない. ただ一般的には,エントロピー増大速度が大きい方が, エネルギーを上手に利用することができるので, 木を高くするための潜在的能力は大きいと考えられる.

さらに,散逸過程は秩序を持っているエントロピーの低いものであるから, うかうかしていると,それを資源とする散逸過程が生じて, 元の散逸過程を壊してしまうことが考えられる. 例えば,熱的に非平衡な間に液体がある場合, きれいに層流で対流すれば熱の流れが大きくなるのにもかかわらず, その流れを熱に変えようと乱流になったりする. そのため,そこで熱は生まれるかも知れないが, 流れが遅くなるため全体としてのエントロピーの生成速度は減少する. 人間の中の栄養を狙う細菌が現れ,人間をだめにしてしまったりする. その結果エントロピーの生成速度が減少する.

先のものは,同じ資源を取り合う散逸過程の競争である. 後のものは,ある散逸過程を資源にしようとする散逸過程との戦いである. いずれにしろ,不毛な戦いであるが, これに勝ち残らなくてはしょうがない. 従って,散逸過程はロバスト(頑健)でなくてはいけない. エントロピー生成速度が速くても, 不安定なものは存在できないのである. 流れの場合も,安定なものの中で, エントロピー生成速度が速いものが選ばれる. 人間の場合は,細菌という散逸過程に対して, 抗体などが細菌を破壊しているから,安定でいられるのである.

ところで,この話しは何かと似ていないだろうか. そう,遺伝子の利己性と他利性の話しに似ている. 利己性が局所的な, 他利性が大域的なエントロピーの増大(自然の破壊)に相当している. 大域的なエントロピーを増大するために, 散逸過程の中に低いエントロピーの部分ができれば, それを増大させる散逸過程が生じる. 大域的に増大するためにはマイナスであるのにもかかわらず, とりあえずエントロピーを増大させようとするという意味で, 局所的ということができるのである. 他利的な遺伝子が,グループ全体のために良い環境を作り出そうとすると, グループ全体のためにはマイナスであるにもかかわらず, そのグループの中では有利になる利己的遺伝子が現れるのである. 逆に言えば, 利己性と他利性の問題は,局所性と大域性の問題なのである.

人間の知能に知能が備わった理由は, 同じ資源を取り合う他の散逸過程に打ち勝つこと, 人間を資源としようとする他の散逸過程に打ち勝つこと, さらには, 極大点に捕まってしまうことを避けるためにあると考えられる. 遺伝子による進化には時間がかかるため, 遺伝子だけで制御するよりも, プログラマブルなシステムにする方が, 行動の結果を予測できる方が, 上記の目的を達成できるのである.

もし火に知能があったらどうするだろうか? 例えば,洞窟の中の燃えるものは晴れの日には燃やさずに, 雨の日にのために取っておいたりするだろう. 何でもかんでも燃やしたりせずに, 燃えやすいものは,状況が不利になった時のために取っておいたりするだろう. また,ばかな火が大切な資源を燃やしてしまわないように, ばかな火の周りを先に燃やしてしまって, ばかな火が広がらないようにもするだろう. 知能をもった火が存在できれば,普通の火より存在に有利であるので, それだけが主に存在することになる. しかし,火が知能を持つことは物理的に不可能であるので, 実際には存在しないが, 存在したらエントロピー生成速度でかなわない人間は多分存在できないと考えられる. (人間を利用しようとするかもしれないが)

「自然を破壊して何になる?」という質問に答えることにする. 解答から先に言えば, この質問は考える順番が逆であり答えがない. もう少し詳しく説明しよう. 「何になる」と問うためには,何か目的が必要である. 言い替えれば評価基準が必要となる. 人間はもの考えるために先天的,後天的な評価基準を使っている. 本能的なものは遺伝子によって作られ, 後天的なものはミームのようなものによっていると考えられる. それでは,なぜそのような評価基準を持つようになったのか. 利己的な遺伝子的に考えれば,遺伝子間やミーム間で競争した結果である. エントロピー的に考えれば, 大域的・局所的に,「自然を破壊する速度(エントロピー生成速度)を速くする」 ためである. もし,今の人間と同じ評価基準をもつグループと, 別の評価基準を持つグループがあって, 後者の方が大域的・局所的に「自然を破壊する」能力が高いならば, 当然,現在の評価基準をもつグループは負けてしまい, 人間は後者の評価基準をもつことになったのである.

従って,人が「自然を破壊して何になる?」と考える理由も, 様々な競争の結果として, その様に考えることが大域的・局所的に, 「自然を破壊する」ことに適しているからなのである. あえて,この質問に答えるとすれば, 「自然破壊が全ての目的の元となるもので, 君がそう考えることも自然破壊のためだよ.」 でしょうか.

結局,人間が自然を保護しようするのも, 自然を急いで破壊しすぎるとそのグループの生存が不利になり, 従って,大域的に自然を破壊することができなくなってしまうからである. これは,エントロピーの極大点い捕まってしまったと考えることができる. 逆に,自然破壊を全くしようとしないグループも存在しない. やはり,そのようなグループも生存に不利であるからである. エントロピーをより増大させようとしないものも存在しないと考えることができる. そういう意味でも,自然を保護しようする感情自体が, バランスを取りながら,即ち,極大点に捕まらないようにしながら, 大域的に自然を破壊するためにあると考えることができる. 実際そのようにして,人間の力が強くなってきている.

過去においては人間の力も弱かった. 従って,エントロピーの極大点に捕まってしまうようなグループがあっても, 他のグループへの影響は限られたものだった. しかしながら,現在の人間の力は非常に強くなっている. あるグループが行った自然破壊が,人類全体に影響してしまう. 場合によっては,人類が滅んでしまう.

しかし,自然保護指向が強すぎるグループの実力は弱く, 自然破壊指向のグループに対する実質的な抑制効果がない. エントロピー生成速度が遅いものは,基本的にはそれが速いものに勝てない. アメリカ合衆国は地球温暖化対策に積極的でないが, そのような国を強制することは実質的に不可能である. 少なくとも,自然保護指向なグループが, 自然破壊指向なグループに実力で戦って勝つことができるとは思えない. 自然保護指向なグループでは,基本的に科学技術が劣ると考えられる. 自然破壊指向のグループが自然を破壊しすぎて本当に困ったとしても, 力に差があれば,自然保護指向のグループは滅ぼされ, 残しておいた自然が利用されるだけである. 侵略戦争はいけないといっても, 侵略側の生存にかかわるようならば,何を言っても無駄である. (後で先住民問題が生じるだけである.)

繰り返すが,人間は自然を破壊するために存在しているのである. あるいは,大域的・局所的に自然を破壊することができるグループだけが, 生き残っていくのである. 自然を破壊しすぎるとことはいけないが, もう昔にもどることもできない.なぜならば, 戻るグループと進むグループが存在した場合, 戻るグループに未来はないのである. そのようなことを理解して,未来へ進む方向を決めていかないといけない. そうでないと,極大点に捕まってしまうか, 理想主義的で力が無く良くても無視されるだけである. ここで述べたような考えを元にした人間が進むべき方向については, 「そのために,今,力をいれるべき所は国際開発,原子力推進, 生命/情報科学技術の進歩である.」 で述べる予定である.

「人間は自然を破壊するためにある」と言ってもどうしてもわからない方は, エントロピーを人間よりも大域的・局所的に速く増大できる散逸過程が生まれたら, 人間は生存できなくなるであろうということだけ理解してほしい.


(タイトルだけ書いて、書き忘れていた) 「自然は人間の敵なのか」に答えることにする. この自然はいわゆる「自然を大切にしよう」の自然の方である. (自然法則の自然の方ではない.) 答えから言えば、自然は利用すべきものであって,決して味方ではない. 自然と人間が相容れなくなった最大の理由は,人間の 「生まれた子供が大きくなって,その意志に従って子供を生むことが当り前」 というところにあると思う.

例えば,無農薬食品の宣伝で, 「植物は何百万年も何千万年も農薬なしで生き残ってきた強い生命力があるから, 農薬なんていらない.」みたいなものがあったが,全くナンセンスだと思う. 植物は,場合によっては,気温が低かったり, 害虫などによってほとんど育たないこともある. しかしながら,多少でも残ればまた来年以降増えていくこともできる. 人間もそれでいいのだろうか. 食物がほとんどなくって, 餓えや食糧不足による病気によって半分以上の人間が死んでも, ある程度生き残ればその後また増えていくことができる. 数万年を生き抜く強い生命力があるといえるかもしれない. しかし,そのようなことはすでに(少なくとも先進国では) 許されないことは明らかである.

人間にとっては,人間だけが特別なのである. 人権ならぬ犬権を認めろなどという人々もいるが, 犬が望まない去勢は犬権に反しないのだろうか? もし,去勢もしないで犬の思うままに増殖させたら, 破状することは明らかであろう. 「生まれた子供が大きくなって,その意志に従って子供を生むことが当り前」ということを, 人間以外の動植物(自然)に認めるわけにはいかないのである.

この「生まれた子供が大きくなって,その意志に従って子供を生むことが当り前」 ということを実現するためには, 自然が人間の思う通りに振る舞ってくれなくては困る. 人間と自然が同位では実現することはできない. もちろん,極小点問題のところで述べたように, 急な自然破壊は人間自体に悪影響を及ぼすからだめであるが, 人間と自然は調和するべきものではなく, 人間の方が高位で,効率的に利用しようとしているのである.

人間に対しても, 将来的には遺伝子工学的な人口抑制が必要であることは述べた通りであるが, 現状では自然を効率的に利用することによって, 人口増加に対応するしかない. 従って, 科学的な根拠なく,なんでも「開発反対」,「農薬反対」,「原子力反対」 とかいうことは謹む必要があると思う.


(03/03/26改訂)
Yukihiko Yamashita (yamasita@ide.titech.ac.jp)