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科学正論:人口を抑制し文明的な生活を続けていくためには, 遺伝子操作などによる人間の改造が必要である.

まず,この「科学正論」が面白いと思う人は, 次の本はこの正論に大きく影響を与えた本なので読むことを勧める.

リチャード・ドーキンス:「利己的な遺伝子」,紀伊国屋書店,1991 (日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二 訳).

この本の内容を簡単に言ってしまえば, 人間などの生物は遺伝子を存続させるための機械であり, 遺伝子が競争して生物を進化させているという, 遺伝子オリエンテッドな考え方を説いている本である. 一般に「種の進化」ということばが使われるが、 実はそうではなくて「遺伝子の進化」であることを主張している. 遺伝子が同じ種や個体群,または,異なる種の間で競争し, 進化していると主張している. 種の進化との違いとして,次のようなことを挙げている. たとえ種のためにならないような性質を持った遺伝子でも, その遺伝子が種や個体群の中で有利で, その個体群の中で増加できるのならば(利己的な遺伝子), その遺伝子を持ったものが増加していく. そして,そのような性質は, 個体群の中でさらに有利になるように進化していってしまう. 実際,種のためにならない性質が進化してしまい, 絶滅してしまった種もあるそうである. 種の進化を考えるだけでは, 種のためにならない性質を持つ個体が現れることが説明できない. 従って, 種が競争することによって種が進化していると考えることより, 遺伝子が競争することによって遺伝子が進化していると考える方が, よりプリミティブに進化を捉えていると考えられているのである. そして,異なる種の間で生存のために様々な資源を取り合うため, 異なる種の遺伝子の間で競争が生じることになり, 遺伝子が進化し,その結果として種が進化しているように見えるのである. また,利己的な遺伝子は,それがあまりに過ぎると, 種や個体群が全体として不利になってしまい, 結局はその遺伝子が不利になるので, その増加・進化は一般には抑制されることになる (先に述べたように抑制されないで絶滅してしまうこともある). 逆に,他利的な遺伝子は種や個体群全体のためには有利であるが, 利己的な遺伝子に利用され,個体群の中では不利になってしまう. 最終的には,利己的な遺伝子,他利的な遺伝子の存在割合が, ある程度振動するかもしれないが,平衡状態になると考えられる. 生善とか生悪という言葉で言えば,両方備えているともいえる. 生善なものが多ければ,生悪なものが生存に有利になり生悪なものの比率が増加する. 逆に生悪なものが多ければ, グループが全体として生存に不利になるという結構めんどくさい関係である.

次に,メイナード・スミスによる ESS(Evolutionarily Stable Strategy,進化的に安定な戦略)を説明する (詳しくは,「利己的な遺伝子」を読むこと). ESSとは,個体群の大部分のメンバーがそれを採用すると, 別の代替戦略にとってかわられることがない戦略のことである. 例えば,(戦略A : )「他の個体を絶対に攻撃せず, 他の個体から攻撃されたら必ず逃げる」という戦略を考える. 個体群のすべてがこの戦略を取っていれば, この戦略を続けていけそうである. しかしながら,その個体群に突然変異によって, (戦略B : )「他の個体を攻撃し,他の個体から攻撃されたら応戦する」 という戦略を取る個体が現れたならば, 戦略Aを取るものは相対的に生存に不利になり, 戦略Aを取る個体数が減少していく. 従って,戦略AはESSではない(平衡であるが安定でない). 逆に,個体群のほとんどが戦略Bを取るものとする. 一般に,戦うことによって, 怪我をしたり,それが原因で弱くなったり病気になったりして, 生存に不利になり,個体数を減らしていく. 戦いはゼロサム以下な場合が多いのである. このとき,(戦略C : ) 「他の個体をあまり攻撃せず,他の個体から攻撃されたら応戦する」 という戦略を取るものが現れると, 戦略Bより生存に有利であるから,戦略Cを取るものの割合が増加していく. 従って,大雑把に言えば,戦略Cが基本的にはESSとなる. また,戦略Cでは,「あまり攻撃しない」であって「絶対に攻撃しない」ではない という点で,戦略Cは戦略Aより有利になる. もう少し細かく言えば,いろいろな戦略を取るものがある割合で混合して 存在することができる.

国の文化や宗教のように人間の考え方も, 親から子へと受け継がれ,遺伝子と同様な性質を持っている. この本では,そのようなものを「ミーム」と名付けて, 遺伝子と同様に競争していると考えている. もちろん,遺伝子は本能を司り, 最終的な性質の決定にはミームより優位にある. しかしながら,ミームの方が変化の速度が極めて速く, 多様で複雑な性質を表すことができる. 実際,親などからの教育によっている性質すべてを, 遺伝子だけ伝達することは不可能であると考えられる. 従って,遺伝子だけによってその個体の性質が決ってしまうより生存に有利になる. 例えるならば,人間はハードウエアによる制御ばかりでなく, ソフトウエアによる制御も可能にし, そのソフトウエアを進化させていると考えられる. 遺伝子の立場から考えれば, ソフトウエア制御を可能にするハードウエアを作り出す遺伝子が 生存に有利になったのである. 従って,遺伝子に対するESS拡張して, 人間の思考による戦略も含めて, 安定かどうか考える必要がある. 次からは,この考え方に基づいて, 人口を抑制し文明的な生活を続けていくことが 安定的に可能かどうか考えていく. ここで文明的とは, 「生まれた人間が十分に栄養を摂取でき, ほぼ天寿を全うできる」ものと考える.

このような文明的な生活をおくる場合, 次に述べるように人口を抑制することが非常に困難である. 宇宙は広大であるから,人口が抑制できなくても, 増えすぎた人間を宇宙に居住させれば大丈夫と考えるかもしれないが, これも時間稼ぎにしかならない. 例えば,70億人の人間が今の1.2%の増加率で増えたとき, 宇宙の半径である半径120億光年の球の中に, 1立方メートルあたり1人が存在するまでの時間Tを計算する.
宇宙の体積V[m^3] = ((4 / 3) * 3.14 * (120 * 10^8 * 365 * 24 * 3600 * 3 * 10^8)^3)
である.したがって,
V = 70 * 10^8 * 1.012^T
が成立し,これを解くと,T = log(V / 70 * 10^8) / log(1.012)= 13,302年となる(a^bでaのb乗を表している). こんなに人が住めるわけはないし,住めたとしても人間でブラックホールができている. それでも,1万年と少ししかない。

まず,「基本的人権として大人は子どもを生みたい数だけ生んで, 生まれた子どもは大人になるようにしなくてはいけない.」 という戦略を考える. これは,いわゆる民主的な国ではあたりまえの考え方である. いまの人間にも子供が好き,逆に嫌いな方がいる. これには,遺伝子,文化,経験等のものが影響していると考えられる. 遺伝子から考えれば, いまの人間に子供を作ることを自制する本能的性質がある主な理由は, いままでに子供を作りすぎるとかえって個体数を減らしてしまうということがあり, たくさん子供を作ろうとする遺伝子が不利になり, ある程度自制しようとする遺伝子が有利であったためと考えられる. しかしながら,上記のような状況が続けば, 子どもの数を制限しようとする遺伝子が相対的に不利になり, 子どもを本能的にどんどん作ろうとする遺伝子が有利になる. すなわち,子どもの数を制限しようとする遺伝子を持つものより, 持たないものの個体数の割合が増加していってしまうのである. 個体群全体で考えれば,子どもの数を制限しようとする性質が退化してしまう. 同様に,子どもをどんどん作ろうとする遺伝子を持つ 個体の数の割合が増えてしまうのである. 長期的には,間違いなく人口を増加させることになる. 従って,「基本的人権として大人は子どもを生みたい数だけ生んで, 生まれた子どもは大人になるようにしなくてはいけない.」 という戦略は安定ではない.

子どもの数の制限を「教育によって行う.」 という考えもあるかも知れない. 人口が増加しすぎると,大変なことになるということを 学んでもらおうというものである. しかしながら, そのような教育を越えて本能的に子供を作ろうとする遺伝子を持つものが 現れたら,対処不能である. 遺伝子は生物にとってとても根源的なものであり, 数百万年にわたる遺伝子の変化が猿から人間へと進化させたので, そのような遺伝子は現れると考えられる. そのような遺伝子現れると, この状況ではそのような遺伝子を持つ個体が, どんどん増加していってしまい安定ではない. (ペット禁止のマンションで,平気でペットを飼っている人達がいる. 彼らにとってペットは家族同様であり, ペットを禁止するなんて間違っていると思っていると思う. 同様に,そのような人達には,何を言っても, 子供の数を制限するような教育の方が間違っているとしか 思わないだろう.)

「政府が強制的子どもの数を制限する.」というのはどうだろう. 実際にこれに近いことをしている国も存在する. これも,短期的には効果があるかもしれないが, 長期的には結構危険かもしれない. 例えが良くないかも知れないが, 細菌に抗生物質を与えると耐性菌が増えるみたいなものである. 全体的に人口が減少するとしても, 子どもを作ろうとする本能的な強い欲求を生じさせる遺伝子を持った 個体の割合は増加していってしまう. そのような遺伝子を持つ個体が大多数になれば,早晩,政府は破状する. 実際,強制的に子ども数を制限している国でも, いろいろな抜け道を探す人もいると言われており, やはり,子供を作ろうとする性質を持った人間を増加させている. このような状況に対処するために,子どもをあまり作りたがらない人には, 強制的に子どもを作らせることが考えられる. しかしながら,現実的にはこれを実現することは難しい. 独裁国家でなければ不可能であろう. また,DNAから遺伝子の意味がわかるようでないと, 子どもを生みたがらないふりをして, 実は多数生もうとする「賢い」遺伝子が増えていってしまうような気がする.

基本的問題は, 人間の本質が本来のGA(遺伝的アルゴリズム)で変化していくことである. (GAとは最適化における極小点問題を解決するためのアルゴリズムの一つある 生物の遺伝による進化を模擬し,交差,突然変異,選択を行う. 画像処理をはじめとして,様々な分野で使われている). 個体数が多くなる方がますます有利ということが問題なのである. この問題を解決するためには, 少なくともDNAから遺伝子の意味がわかるようになることが必要である. どの遺伝子が人口を増加させる性質を持つのかなどがわかれば, 独裁国家ならば,人口抑制は可能かもしれない. しかしながら,もっと民主的に行うためには, 少なくとも人口に関する遺伝子だけは強制的に変更することを 民主的に了解する必要があると思う (それ以外の遺伝子はそれぞれ勝手でも構わない).

遺伝子が変化していくためには時間がかかるので, いまのところは,ミームの方が問題である. もし,子どもをどんどん作るようなグループや宗教が生まれれば, そのようなグループはどんどん有利になってしまう. ただ,遺伝子の変化を伴わないミームだけならば, 教育と多少非民主的にはなるが強制(子を親から引き離す等)によって, なんとかなるような気がする.

現在は少子化の時代であるからといって安心はできない. まさに,自然淘汰が進行中であると考えられるのである. 子どもをあまり作らないような性質を持つものは, どんどんその個体数を減らしていき, 子どもをたくさん作ろうとする性質を持つものが, その個体数を増やしていくのである. その割合がある程度以上になったとき, 再度,人口が増加するものと考えられる (これを「2度目の人口爆発」と名付ける). 2度目の人口爆発では, 現在の人間よりも子どもを作ろうとする傾向の強い人間が 大多数を占めているため, 人口を減少させようとするあらゆる方法に対して, 反対する可能性が高まっていると考えられる. 少なくとも今よりは人口抑制が難しくなっているだろう.

あまり先のことを心配してもしかたがないのであるが, 文明的生活を続けて行くためには, やはり遺伝子を操作して人間の性質を制御する必要がある. そうしないと,長期的には人口問題は解決できないと考えられる. もちろん,「技術的にまだ未完成であるから反対」は構わないのであるが, 「人間に対する遺伝子操作はなにがなんでも反対」とか 「人間が操作すべきではなく神の手にまかせるべき」という意見には 絶対に反対である. 神の手でなはなくGAによって進化してきたのである. しかも, GAには人口を人間が生死ぎりぎりのところまで増加させてしまうという 大きな欠点を抱えているのである. 生死ぎりぎりのところに来て初めて, 人口抑制をしようとする遺伝子が有利になるのである.

まとめれば,将来的に人口増加を抑制し,人間が文化的な生活を続けて行くためには, 人間の遺伝子操作は絶対に必要である. しかも,現在でも先進国では, 人口を抑制させようとする遺伝子の割合は減少しているはずで, 問題は困難さを増す方向に推移している. 長期的には遺伝子の操作が必要であることを理解しておき, 技術的に可能になれば,できるだけ早期に実施することが必要と考えられる.


「いまどきの優生学言説 新優生学」というページにリンクされていたので, 説明を追加します.(2003/12/29)
あまり,優秀・劣悪を議論したくはないが, 上の人口問題の議論で一番問題になりそうなグループは, いわゆる「優秀」でかつ人口を増やそうとする傾向が強い方々のグループだと思う. 経済的な点から考えても子供を増やすことが容易だからである. 「利己的な遺伝子」的な考え方では, その遺伝子をもった個体を増やすことができる遺伝子が他の遺伝子との競争に勝つというものである. 自然淘汰がなくなり, 生まれた人間が自分の意志に従って子孫を残すことができるようになる以上, 人口を増やそうとする傾向を強くする遺伝子が有利に働き, そのような遺伝子を持っている人が増えていくことは明らかであると思う. いままでの生物の進化(変化?)の方法では破状する以上, 自然の摂理やら神やらに頼らず, 人間自らが進む方向を決めその方向に進まなくてはいけない.

また,そのページに書いてあった「どれが優良でどれが劣悪なのか人間が恣意的に決めて良いのか?」に対しては, 「人間が地球に与える影響が極めて大きなものになってしまった以上, 自然に任せるわけには行かなくなった.」, 「遺伝障害を持つ人間は悪なのか? 存在をすべて否定されるのか?」には, 「治療するように努力するべき.遺伝子治療によって子孫に対して治療できるならば,治療を禁止すべきではない.」, 「人為淘汰ははたして良い結果を生むのか?」には, 「歴史が示すように人為淘汰を定常的に実施することは不可能. 自然淘汰は人間に関しては生じない.従って,人為的遺伝子改良に頼るほかはない.」, 「選択堕胎によって 遺伝子資源 が失われると、よけい人類は絶滅しやすくなるのではないか?」には, 「多様性の確保は必要.皆が同じ方向進むと極小点問題が生じる.いずれにしろ,これからの社会では,それ相当の遺伝子障害でない限り選択堕胎などを行うはずはない.」

少なくとも,今の作物や家畜は優生によって創られているわけで, そうでなれば,じゃがいもは親指の先ほどの大きさしかないし, 馬は走ることが遅い. 人間に対する優生が結果的に良いか悪いかは, 優性を徹底して実施しても,何十世代と経たなくてはわからない. しかし,それをすることは社会的に不可能であり, その結果を知ることはできないと思う. ただ,どちらかと言うと最近では, 非優生を個人まで強制する方向に向いているように思える. 遺伝子組み換え作物の栽培を全て禁止する条例を作ろうとしたりしている. 科学的に定量的に根拠のない遺伝子組み換え作物の栽培の禁止には反対である. なぜなら,遺伝的な病気を遺伝子組み換えによって治療ができるようになったとき, 治療した子供たちへの差別を助長するからである. 無意味に手段を制限せずに,状況に応じて柔軟に対応することが重要と思う.


Yukihiko Yamashita (yamasita@ide.titech.ac.jp)