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科学正論:原子力を反対だなんて私には信じられない(その2).

主な主張

主な理由

目的

「科学正論:そのために,今,力をいれるべき所は国際開発,原子力の推進,生命/情報科学技術の進歩である.」で原子力の推進に関して述べた。 原子力に関して福島の事故で取り沙汰され, 推進反対の意見も多く出されることも多いため, エネルギーや原子力の必要性を詳しく述べ,原子力推進の必要性を説明したいと思う。

内容

ガソリンの一滴は血の一滴

 「ガソリンの一滴は血の一滴」は, 「欲しがりません勝つまでは」と並んで戦前の有名な標語である。 日本が太平洋戦争を始めた最大の理由は, アメリカが年間600万トンの日本向けの石油の輸出を止めたことである。 少なくとも,石油の禁輸がなければ, 300万人程度の方が亡くなった太平洋戦争を日本が始めることはなかった。 備蓄した石油が切れてしまえば,何もできなくなるため, その前に戦争を始めたのである。 また,石油や資源を確保しなくてはいけないため, 少ない戦力を多方面に分散する必要があり,集中運用するような作戦の自由度を失ったことも, 大きな敗因であり,犠牲を大きくした要因である。 さらに,石油が不足しているため,搭乗員の訓練を十分することができず, 100時間程度の飛行機がやっと飛ばせるような状況で戦場に送り出し, 人命や戦力をいたずらに失った。 そして,熟練したパイロットがいなくなったことが特別攻撃隊を生み出した原因となった。

 開戦の原因となった年間600万トンの石油は,今にして見ればは100万kwの発電所を4基分である。 ただ,エネルギーの供給が多数の人命を左右することは今でも変わっていない。 現在でも石油を止められると,工業生産,交通が壊滅的打撃を受ける。 そして,それが原因になって農業や漁業の生産も止まる。 しかも,石油はあらゆる分野で人命に関係するほど重要になると, 少なくなった石油の取り合いが起こり,合理的配分ができるとは考えられない。 オイルショックのときに言われていたように,大混乱の中で, 日本の半分の人が生きていけない状況になる。 そして,日本への石油を止めることは簡単である。数千km先で止めることもできる。 国際的な対立で石油が止められたならば,日本は太平洋戦争のように戦争をするか, 降伏をするしかなくなる。

 禁輸の他に,日本とは直接関係ない中東の戦争やテロなどによって, 大規模な設備破壊が起きても生じる可能性がある。 この場合は降伏しても石油が来ないため, いつ石油が日本に再び届くようになるか予想がつかない。 そう言う意味では,日本にとって戦争より危険である。 それに,多数の国が石油が不足して, それがどの国でも極めて多数の人命に関わるような状況になれば, 日本へ運ばれる石油もどこかの国に奪われるかもしれない。 現在のように,アメリカが味方であれば, 軍事力でそのようなことを抑えることができるだろうが, 何十年単位ではアメリカの力が衰退することも十分考えらる。 そのような場合は,本当にどのような状況になるかわからない。 日本にとってエネルギーに関して一番危険なことは, 原子力などのエネルギー施設の事故ではなく, エネルギーが使えなくなることである。 十分なエネルギーが使えなければ人が生きていくことができない時代なのである。

ウランは枯渇しない

 ウランの資源量は70年であるから,エネルギーの資源量として少ないという議論があるが, ウランの資源量を心配する必要はない。 海水からウランを採取することが技術的に可能である。 現在それを利用していない理由は, コストがウラン鉱山から採取することに比べて10倍程度するからである。 ウランの値段は上下するが1ポンド30ドルぐらいであるから,1トン800万円ぐらいである。 稼働率70%で100万kwを1年動かすために必要な濃縮前のウランの量は, 30年で平均すると年間120トンぐらいである。 従って,年間10億円程度の天然ウランが必要である。これが10倍になると100億円になる。 一方,電力を10kwh/円で売るとすれば, このときの売上は1,000,000x365x24x0.7x10 = 613億円である。 燃料の原料代が100億円に増えてもなんとかならないことはない。 しかも,10倍のコストは技術の進歩や, レアメタルを同時に採取するによって削減することができる。 ウランの問題を解決するための真打ちは高速増殖炉である。 これが実現すれば,ウラン238を燃やすことができるので, ウランの必要量は数十分の1になる。従って,燃料の原料代は現在価格で2,000万円程度になり, これが10倍になってもほとんど気にすることはなくなる。

 海水のウランの量であるが,海水のウラン濃度は約1ppnである。 1km x 1km x 1km に約1トンのウランが溶けている。 海水の量は13.7億 km3で,13.7億 トンのウランが溶けている。 しかも,年間10万トンのウランがいまでも海水に溶け込んである[1]。 地殻の平均のウランの濃度は1ppmであり,海水に比べ1,000倍程度濃度が高いため, 川などの侵食によって,陸から海水に年間10万トン程度溶け込んでいる。 このウランの量を高速増殖炉で消費するとすれば, 100万kw5万基の原子炉を動かしても海水中のウランが減らないことになる。

電力はほぼ全量を原子力でまかなうべき。

 原子力で水力などを除いてほぼ電力の全量をまかなうことは可能である。 フランスは全電力量の80%程度を原子力発電でまかなっている。 フランスが原子力発電を推進する理由は, エネルギーに足を引っ張られて,外交の自由を失いたくないからと言われている。 これもエネルギー安全保障の一環である。 原子力は発電量の調整が難しいと言う方がいるが, フランスでは毎日の発電量調整が普通に行われている。 日本で行わない理由は燃料コストが安いため, 原子力発電所をできるだけ動かした方が得だからである。

 その他の発電方式にはメリットがあまりない。 緊急時のために,火力発電所を残しておくことは必要であるが, 公害,CO2排出,輸入が止まることを考えれば, あまり使わない方が良いに決まっている。 CO2排出の問題は,まだはっきりわかっていないところもあるが, 原子力という代替がある以上,最悪の状況を考えて原子力と比較する必要がある。 水力は供給電力の調整のために使うことができるので, 現状の設備を維持することは必要であるが, 低コストで発電できる新規の場所はほとんどない。 地熱は,発電量の安定性,コスト,砒素などの永久になくならない毒物, 温泉地とバッティングして反対が多いなどの問題を抱えている。 地熱の一種の高温岩体発電は,温泉地の問題は無くなるが,それ以外の問題は残る。 また,何よりも蒸気を発生させるために投入した水のうち, 戻ってこない量も多いため,水の確保の問題が残されている。 火力発電を原子力に置き換えていくことが,もっとも経済的で, 長期間で考えれば安全性が高い。,

採算が合わないエネルギーは液体系のエネルギー源に限るべき。

 一人当たりのGDPと平均寿命には正の相関がある (GDP 平均寿命でググると多数のページが出てくる)。 経済が良い方が寿命が長いのである。 経済が悪くなれば,リストラなどのストレスによる病気, 医療レベルの低下,様々な安全に関する設備・教育への支出の低減などにより, 寿命を短くなる。 そのような意味では,コストが高いエネルギーを導入するということは, 全体として人間に対する安全性を低めていると言える。 そのため,太陽光発電など採算が合わないエネルギーは,なるべく使わない方が良いのであるが, 採算が合わなくても液体系のエネルギーの確保は必要である。

 太陽光発電のエネルギー利得 (得られるエネルギーのそれを得るために必要なエネルギーに対する比) は,1より大きいということなので, 家庭菜園のごとく,個人の楽しみとして導入することは構わないとも思う。 太陽光発電の発電コストが高いため, 2〜3年と言われる太陽光発電のエネルギーペイバックタイム (製作のために必要だったエネルギーを回収するまでの時間) の計算に対して全く疑問がないわけではないが, さすがに数倍に増えることはないのではないかと思う, ただ,発電コストが非常に高い。 初期投資が高いことは言うまでもないが, 維持コストも1年あたり初期コストの数パーセントはかかるはずで, 10年程度で初期コストが回収できる必要がある。 流行りのメガソーラの買い取り価格は,32円/kwhという非常に高価なものである。 それも,発電量は自然まかせで,蓄えることが難しいため, 他の発電設備で安定化しなくてはいけない。 それが原因となり,他の発電設備の発電コストを引き上げる。 質の悪い電力を高く買い取っているのである。 こんなことをすれば,電力コストを引き上げてしまう。 電力コストが上昇すれば,日本での太陽光発電設備の生産コストも上昇し, 太陽光発電設備はますます輸入に頼ることになる。 石油より数倍高いエネルギーの輸入を増やそうとしているのである, 正気の沙汰とは思えない。

 エネルギー安全保障を考えれば,化石燃料,特に石油の消費を減らすために, バイオディーゼルやアルコールなどを積極的に開発するべきである。 石油が来なくなることを考えれば,エネルギーの自給のため, コストが多少高くても飛行機・船舶・自動車を動かすために液体燃料は絶対に必要である。 電気エネルギーだけでは社会はまわらない。 液体のエネルギー源がなければ,日本のような国では生きていくことができない。 太陽光発電に無駄なコストをかけるぐらいならば, 安全保障という広い意味ので安全のため,日本の自然環境保護のため, バイオ系のエネルギー源にコストをかけるべきである。

その他

 戦後の電力需要の増加に対応するために作った黒部第四ダムは, 付属の発電所から35万kwの電力を得ることができるが, そのダムを建設するために160人以上の方が亡くなっている。 まさに,命をかけなくてはエネルギーが得られなかったのである。 現在でも,西側先進国は中東の安定化や影響力の維持のために多数の方が命を落としている。 2014年6月14日までのアフガニスタンでの死者数は, アメリカ2,335人,イギリス453人,カナダ158人,フランス86人,ドイツ54人, イタリア48人,デンマーク43人,ポーランド42人,オーストラリア41人, スペイン30人である。中東の安定化や影響力を確保する目的は, 石油のためといってそれほど間違いないと思う。 例えばアフガニスタンがアフリカ中部にあったとしたら, 基本的には放っておかれただろう。 今でも,石油が最大の戦略物資であることは変わっていない。

 太陽光発電のエネルギーペイバックタイムについての疑問だが, エネルギー自体でなく,電気エネルギーに換算して計算しているという話は聞く。 すなわち,石油や石炭などの発電効率は1/3程度であるから, 太陽光発電による1Jは石油の3Jに相当するとして計算しているという話である。 確かに電気として使っている石油に関してそれだけ節約できることはわかる。 しかし,太陽光発電を太陽光発電の電力だけから作ろうとすれば, 石油や石炭の代わりに電気で高温の熱源を実現することも必要になるので, 3倍にする理由はなくなる。 そして,石炭などを還元剤として使っている場合は,さらに不利になる。 もっと問題なことは,太陽光発電のコストは高いということは, 算入されていない分があるのではないかという疑問である。 もちろん,太陽光発電で暴利を貪っている人々がいるならばそれはそれで構わない。 しかし,そうでないとすると,どこかで見落としがあるのではないだろうか。 たとえば,人件費がコストを押し上げているとすれば, 工場,建設現場,営業などで働いている人々やその被扶養者が, 直接・間接的に使っているエネルギーは算入されているのだろうか。 このようなエネルギーを算入して,エネルギー利得が1を越えないと, エネルギー源として持続可能にはならない。 コストを引き上げている部分を重点的に見直してみる必要があると思う。

参考文献
[1] バーナード・L・コーエン,「私はなぜ原子力を選択するか」,ERC出版,1994年

おわりに

 原子力の可能性が低い危険に対してその存在を理由に,原子力を反対している人を見ていると, 「交差点では単位時間あたりの事故率が高いから, 速度を上げて交差点に滞在する時間を短くした方が安全だ。」 と言っているように聞こえる。 原子力をやめたときに増加する危険性と比較して考えることが必要である。 まず,他の発電方式の直接的の安全性の比較が必要である。 長期の放射性物質による被爆の危険性については, 石炭火力や太陽光発電の方が原子力発電よりも高くなることとは先に述べた。 大気汚染や天然ガスの危険性については次で述べる。 CO2に関してはその先で述べたい(これが一番難しそうである)。 このページで述べたことは,そのような分析可能なことばかりでなく, 国際社会問題など,予想が不可能で,日本がコントロールすことが極めて難しい問題から生じる, 原子力事故などよりもはるかに被害が大きい危険性が存在することである。 その危険性を軽減するために原子力が必要なのである。
Yukihiko Yamashita (yamasita@ide.titech.ac.jp)