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科学正論:IT革命が引き起こす新植民地時代
科学正論(唯物史観)的にアメリカとイラクの戦争とその背景を論じてみよう.

まず,3つのことを説明する. 「戦争の生産性」,「戦争と戦力の関係」,「平和の不安定性」である.

まず,「戦争の生産性」から説明する. これは,戦争から得られるものと戦争にかかるコストの比のことである. 少し前までは,戦争や軍事力を背景にした強制力で植民地に言うことを聞かせ, 宗主国は莫大な富を搾取することができた. 産業革命がもたらした強力で大量な武器によって, 高い戦争の生産性を実現していたのである. 従って,工場の拡張と同様な考えで軍事力の拡張が行われ, 新たな植民地の獲得のために戦争が行われていた. しかしながら,その後「戦争の生産性低減の法則」とまで呼ばれるぐらい, 戦争の生産性が急激に悪化した. それは,新しい植民地のための場所が少なくなったため, それを取り合う宗主国どうしの戦いが生じたこと. 例えば,2度の大戦では得られたものはほとんどなく (様々な新しい技術が得られ,その後の発展のもとになったのではあるが), 米国を除いて国土や経済が荒廃した. また、その米国もベトナム戦争では, 経済に大きな負担をかけるほどの大量の武器, 弾薬を使いながら撤退を余儀なくされ, 経済の回復に10年以上かかってしまった. このように,「戦争の生産性」が1を大きく下回っていることが示され, 戦争をしても得るものがないとみなが思うようになった. 結局,ベトナム戦争からはなにも得られなかったし, アメリカの軍事力を使ってイラン革命を押さえることができなかったし, 石油ショックの時にも石油の大幅値上げを止めることもできなかった. 軍事力を行使することがためらわれたのである. すなわち,自動小銃のような武器が広く行きわったため, 軍隊を送って相手を強制させ,そこから富を得ることが難しくなったのである. 大量破壊兵器は進歩したが,自分に使われる可能性を考えて, 相手を強制するためには使うことができなくなった. そのため,戦争の生産性が下がってしまい, 利益を生まない巨大な軍隊は経済的な重荷となり, ソ連は崩壊し,アメリカでも不況が訪れたのである.

次に,「戦争と戦力の関係」について説明する. これは,基本的には戦争を続けている国の方が戦闘能力が強まり, 平和な国では戦闘能力が弱まっていくということである. 戦争を続けている国では, 戦闘や情報収集のための研究開発,経験や練度などが蓄積されていく. また,それらが実戦に即したものであり,実戦で評価されるため, さらに強くなっていく. 一方,平和な国では,一般にはそれらの予算が少なく, 実戦に則さないものになるため,相対的には弱くなっていってしまう. 戦後,先進国ではアメリカだけが戦争を続けいていた. 朝鮮戦争,ベトナム戦争,リビア空爆,湾岸戦争,グレナダ侵攻, アフガンなどである(まだまだある). 科学技術や経済力ばかりでなく, 戦争を続けていたことが現在のアメリカを史上最強の国にした考えられる.

「平和の不安定性」について説明する. これは,平和は山の上のボールみたいなものであり, 決して谷底のボールとして存在するものではないということである. 平和を維持するためには, 平和的でないグループが現れたときに平和を強制する必要がある. 山からボールがこぼれ落ちそうになったときに, もとの所に早く戻さなくてはいけない。 早く戻した方が犠牲が少ない。 しかし,平和を強制するためには戦力が必要である. 武器が全くない平和は, 座屈を考えないで,圧縮応力に耐えればいいと柱を設計してしまうことと同じである. もし,武器が全くないとしても, あるグループがある程度以上の武力を持ったら, そのグループに支配されることになる. そして,その支配力を利用して武器を生産させますます強くなり, さらに支配圏を拡大してしまう. ジョンレノンのイマジンではだめなのである.

「戦争と戦力の関係」,「平和の不安定性」にもかかわらず, 近年平和が続いてきた最大の理由は, 先に述べたように「戦争の生産性」が低くなっていたことだった. もし,戦争の生産性が高ければ, 戦争して得られた利益を使って軍隊を強くするということができる. そして,「戦争と戦力の関係」によりますます軍事力が強くなり, それを背景として経済的な利益が得られるのである. これは,植民地時代で生じていたことである. しかしながら,戦争の生産性が低いため, 経済的になにも産み出さない軍事費を増やしていくことができない. そのため,「戦争と戦力の関係」で軍事力が強くなったとしても限界があったし, 「平和の不安性」も相手を強制できなければ不安定にはならない.

ところが, IT革命は戦争の生産性をけた外れに向上させたのである. IT革命は,様々な産業で省力化,省エネルギー化を進めながら高品質な製品, サービスを提供することを可能にした. すなわち,生産性を向上させたのである. この生産性の向上が軍事でも生じていたのである. 爆弾の精度が数百mから数mと飛躍的に向上している。 昔ならば,重畳爆撃してもなかなか破壊できなかった目標が, ほとんどの目標を1回で破壊することができるようなった. これによって,大型の爆弾で地下施設の破壊も可能になった. 爆撃機たった1機で2000lb(約1t)爆弾を20発以上搭載し敵地上空を常時飛行し, 連絡があれば数分以内に高精度に爆弾を投下できるようになった. さらに,無人の巡行ミサイルや無人の偵察機・攻撃機なども使用できるようになった. しかも,これらの武器の値段がどんどん下がっている. 例えば,爆弾の誘導装置の値段が数十万ドルから1万ドル程度まで下がっている. 従って,湾岸戦争では10%ぐらいしか使われなかった 誘導爆弾が今回の戦争では80%ぐらい使われたのである. 低コストで, 双方の人的被害を少なくしながら,相手の中枢だけを破壊することによって, 相手の意志をコントロールすることが可能になった. そして,その結果として, 石油の採掘を担当する権利,武器の輸出,基地建設による周辺諸国の統制, ドルへの信用など様々なものを手にすることができる. また,自分に都合が悪い世界のルールに従わなかったり, 自分に有利なように変えていくこともできる. 戦争に対する少ない支出で大きな利益を産み出せるようになった. すなわち,戦争の生産性が向上したと考えることができるのである.

現状では,戦争の生産性を大きく向上させている国はアメリカだけである. そして,これからもどんどん戦争をして,ますます強くなっていくと考えられる. インターネットも軍事目的から生まれたように (核攻撃を受けたときの通信のため), IT,軍事技術やその他の様々な技術を発展させて行く. また,その膨大な軍事費をまかなうために, その軍事力を背景にして利益をあげることが必要になる. 例えば,ドルによる国際経済の支配, 石油の利権,国際的な取り決めをコントロールする必要が出て来る. そのためにも軍事力を弱めるわけにはいかなくなってくる. このような,正帰還が働いて,アメリカは技術を発展させ, 時には他国(日本とか)に圧力をかけて技術を吸収してさらに強くなっていく.

これからの世界はどうなるのだろう。 上に述べた通り,アメリカだけが世界の超大国となって 軍事とそれを絡めた経済的圧力を強めていく. いわゆる,パックスアメリカーナの時代となる. 「新植民地時代」と言えるかもしれない. もちろん,支配の形態は昔の「植民地時代」より遥かに緩やかなものになるだろう. しかし,アメリカと激しく対決すれば, 文明的な生活が難しいぐらいの経済的状況に追い込まれてしまう. 例えば,アメリカが日本の資産を凍結するだけで, 日本の経済は言葉で表せないほどの大打撃である. 世界統治という意味では,国連はその役割を終えるだろう. そして,皮肉なことに世界最大の開発NGOとしての役割を果たすことになると思う. このような状況を作り出した責任は,アメリカだけにあるのではない. 人間にとって一番大変な「戦争」というもののほとんどを, アメリカだけにまかせてきてしまった西側世界にも大きな責任がある. その意味では,戦争反対の方々がアメリカの一国支配を作り出した大きな理由になっている. ただ,私も戦争には行きたくないし,子供にも行かせたくない. だから,「戦争」の実務を常に担当しきたアメリカが我々を支配することは, もしかしたら仕方がないことなのかもしれない. アメリカも政権が変われば,かなり外交姿勢も変わるととは思うが, 戦争の生産性が高まっている以上,紆余曲折もあっても, 底流としては軍事力で問題が解決される可能性が高まっていると思う. それを少しでも回避するためには,アメリカ世論に効果的に働きかけるしかない. そのためにはどうすれば良いかを冷静に考えることが必要である. アメリカとそれ以外の国との対称性は既に破れてしまっている. 「人間は皆平等だ.」などといっていないで, 非対称な争いであるということを認識して,的確に行動していくことが必要である. 世界統治のための軍事力による強制という点では,現状は,「アメリカ人であらずば人であらず.」になってしまったことを認識しなくてはいけない. 軍事力による強制が統治における最終手段である以上, アメリカの世論が最終的にすべてを決めることになるのである.

しかし,激しい対決は控えるが,反米的な国も増えると思う. 戦争に反対する人たちは何があっても戦争に反対する. しかしそれは, アメリカをますます軍事力を中心とした孤立化の道へ進ませると思う. 基本的に独立意識の高い国だし, 勝手に行動できる能力を持っている国なので, 孤立化すればさらに勝手に行動するだけと思う. また,テロは本当に逆効果と思う. テロが生じているのに外国からテロを抑える軍事行動に反対されれば, 下手をすると国連を脱退して,ますます,独自の軍事力に頼るようになると思われる. 今後の鍵は,軍事力を使ってどれだけ順調に経済的利益が得られるかである. そのために,ミサイル防衛やテロ防ぐためのセンサーやシステムなどの 様々な技術をますます発展させ,軍事力・科学技術力を強化させていく. (いわゆるIT革命による爆弾の精度などは限界に来ているので, これからの研究の中心は「認識」などのインテリジェントな方向になると思う. それによって,効率化, 無人化による損害の減少,ミスによる損害の減少を図ることができる. 情報系の中では珍しく,日本は認識分野の研究では進んでいたが, 人員と予算の桁が違って,一挙に突き放されてしまうかも知れない.) そして,軍事力を背景に人々を実効支配する人文科学的方法に関しても研究がなされ, ここしばらくは,パックスアメリカーナが強まっていくと考えられる.

最近、競争主義がもてはやされている. 自由競争によって「見えざる神の手」が働いて, 良い方向に進むという考え方である. しかし,競争が激しくなれば,競争に勝つことが最大の目的となり, 合法だが非倫理的,さらには非合法なことまで行われるようになる. 正々堂々の競争よりも, 勝てば何をしても勝ち的な,「孫子の兵法」的な戦い方になる それで,本当に発展させたいものを発展させることができるだろうか。 (最近の学会でも,研究グループを作って,グループ内の論文はすぐに通すがグループ外の論文はあまり通さないという話をあちらこちらで聞く. 競争に勝つために,「コネ」の社会に陥っているのだと思う.). そして,競争主義の行き着く先が,戦争主義,植民地主義ということになるのだろう. 競争主義的に考えれば命を賭けた戦争こそが、 もっとも真剣に競争する最も良いものになってしまう. 競争主義の方は「ルールの元での競争」であって戦争は違うというかもしれない. しかし,現行の日本のルールでも競争に敗けてしまえば,生活は非常に困難になる. テレビでは,仕事を一生懸命さがしている路上生活者の様子が報道されているが, どんなに頑張って働いても非人間的な生活まで落ちてしまう可能性があることになる. 医療改革が進めば、お金がなければ十分な医療が受けられないことになる. そんなふうになっても戦争と大きく違うと言えるのだろうか? さらに,そのルール自体も競争の対象であるということを忘れてはいけない. 様々なルールの中で最も効率的なルールが選ばれることになる. もう少し正確に言えば、様々なルールに従うグループがいたときに, 最も効率的なルールを持ったグループが勝ち残り, そのルールが広まっていくことになる. 今の話で言えばルールがアメリカが選んだものであり, 新しい力とその力を背景とした経済による新世界秩序となることになる. 「21世紀.新しい戦争の時代,植民地の時代へようこそ.」という感じである.

このような状況は, 独占企業が他の企業の成長を許さない的, 恐竜が地球を支配していたときに哺乳類が発展できなかった的な状況である. それは,一つの局所解に陥った状態といういうこともできると思う. 競争の勝敗はその時間における局所的状況で決まってしまう. それは前に述べた「最大勾配法」のような局所最適化手法であるから, それでは局所的な最適解に陥り,大域的な最適解は得られない. 「見えざる神の手」などはないのである. 競争をある程度取り入れることはいいけれど, 競争原理主義に陥ることは良くないと思っている. 大域的な発展や大域的な自然破壊が損なわれ, 単なる争いや自然破壊が横行し,大災害などが待ち受けている. もちろん,社会主義もだめだったが, 1人当たり先進国平均の2倍以上のエネルギーを浪費してしまう アメリカ式の自由競争の先には未来はない. 「神の見えざる手」とか「進化は神が決めたもの」では限界がある. もう一度,何のために「競争」を導入するのか考えてみる必要があると思う. 「競争をどんどん取り入れて行けば良い」,「競争があまりないのでだめだ」 のような競争原理主義には全く根拠がない.

人が力を持ちすぎたため,人が自由に振る舞えば良いという時代は既に終わっている. 大域的に地球をどうするかを人間が考え,行動しなくてはいけない. まず,それを可能にするためには,競争原理主義の方々との競争に, 「競争原理主義に陥ることなく」勝たなくてはいけない. 空間的時間的に局所的な競争に勝ったものが、 大域的な競争に勝つわけではない. 人類自体が最後に大域的に負けると大変なことになる. 人間の知恵をそのために使う必要がある. 「自然は人間の敵なのか」で述べた通り,人間の知能・知恵は「局所的な最適解」に陥らないためにあるのである. 局所的な最適解を乗り越え人間が生存し続ける道は, 皆が科学的に合理的に振る舞わない限り,残されていないと思う. いわゆる「神」を越え, 人間が,人間こそが,人間だけしか世界を変えていくことができないことを自覚するべきである.


Yukihiko Yamashita (yamasita@ide.titech.ac.jp)